弥次平物語


                        

弥次平顕彰碑


今からおよそ,200年前(寛政時代)のこと。昔から,太子町は,かんばつで 有名な土地でした。この物語は,そのころのお話です。


 阿曽・下阿曽・立岡・矢田部の4つの村は,林田川の水を「阿曽岩ぜき」でせ きとめて,水田をうるおす水を引いていました。ところが,林田川の水の量は少 なくて,日照りが続くとたちまち水不足になってしまいました。
 幸いなことに,「岩ぜき」の少し北,誉田小学校(龍野市)の南の林田川に 揖保川から引かれた「横ぜき」がありました。
 この水を,「岩ぜき」に落として,何とかおぎなっていました。
 「岩ぜき」の南にある石海地区の人たちも,この「横ぜき」の水をあてにし ていました。
 そのため,かんばつになると,水あらそいがたえませんでした。


 この夜も・・・
 阿曽・立岡・矢田部の人たちが水をせきとめたので,「岩見井組」の人たち が,おおぜいでやってきて,「横ぜき」を切り落としてしまったのです。
 すぐに4つの村(阿曽・下阿曽・立岡・矢田部)が集まり相談しました。そ の時,こっそりぬけ出したのは,弥次平さんでした,
 「このままでは,どうしようもない。わしの身をぎせいにしてでも,村の水 を守るんだ!このせき,落とせるものなら落としてみよ!」
 こうして,弥次平さんは,せきの上に横たわり,一歩も動かなかったのでし た。
 「岩見井組」の人たちも,この水がこなければたちまちこまってしまいます 。
 せきを切り落とそうと必死になって,手に持ったスキやクワで,弥次平さん におそいかかりました。
 そして,とうとう命をうばってしまったのです。
 村は大さわぎです。


この事件があってから,広山村(龍野市誉田町)と阿曽ほか4つの村が約束を し,「横ぜき」の水が,永久に「岩ぜき」にも引かれることになったのです。
  
                                                                 


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